英人技師H.S.パーマーが明治22年に計画案を作成し、海軍技師恒川柳作が設計。 明治31年竣工時には全長168mであったが、入港船舶の大型化に伴い、 大正6年5月〜7年8月にかけて内陸方向に延長、全長204mとなった。 建設当時最大規模の乾ドックであり、土木技術の粋を決して作られたものである。 現在は帆船日本丸が展示されている。