話屋
分類不能なカテゴリの内容を書き散らかすところ。
ちなみに話屋とは新釈遠野物語で狐が化けたお爺さんが語った昔話から取りました。
気分を出すために話し方が変わったり役作りしているのはご愛嬌と云うことで一つよろしく願います。
鉄道50年祝典の宴会料理
本年皇紀2672年は、鉄道開業140年に当たる記念すべき年である。
さらに、東京駅も戦災による焼失部分が復元され、目出度く建築当時の美しい姿を取り戻した。
そんな目出度い年にあわせて、鉄道50年祝典の宴会料理のメニューを公開する。
なお、メニューについてはカタカナと漢字表記のみだったため、
それらしい仏語と訳を付けてみたが、そちらについては参考程度と思っていただきたい。
シュプレーム ド ソーモン ア ラ ネバ (鮭洋酒蒸)
supreme de saumon a la neba
*シュプレーム:最高
最高の鮭の洋酒蒸し
サルピコン ド ブオライユ アン ケース (鶏肉紙蝶詰)
salpicon de volaille un case
*サルピコン:スペイン語?細かくしたもの
*ブオライユ:ヴォライユ、家禽
鶏肉を細かく切って紙包み焼き(蒸し)?にしたもの
メダイヨン ド ジャンボン ア ラ ジュレー (燻腿凝汁寄)
medaillon de jambon a la gelee
*メダイヨン:メダル形、肉を円形か楕円形に切ったもの。
*ジャンボン:豚の腿肉で作ったハム
*ジュレー:ゼリー、ゼリー状
豚腿肉のハムを輪切りにしたもののゼリー寄せ
パテー ド ジビエー (野禽麺製品)
pate de gibier
*パテー:生地に包む料理、パン等に塗って食すもの
*ジビエー:野禽獣。鴨、鳩、鹿、猪
鴨肉のパイ
フイレー ド ブーフ ローチー (牛繊肉蒸焼)
filet de boeuf
*フィレー:ヒレ肉
*ブーフ:牛肉
牛ヒレ肉の蒸し焼き
サラド ド セーゾン (生菜)
salade de saison
*セーゾン:セゾン、季節
季節のサラダ
サントウイシ(挿肉麺麭)
sandwich
サンドウィッチ(ハム)
バヴアルア クレルモン (冷菓)
bavarois clermont
*バヴアルア:ババロア
*クレルモン:フランス中央高地に位置する都市
パン、ガトーフリュイ、テー (麺麭、乾菓、果物、紅茶)
pain, gateau fruitt, tee
乗務日誌
雑物館に国鉄の乗務日誌(機関士用、電気機関士用)を展示しているが、
自分の運転した列車について記入したら面白いかなと思い様式を作成してみた。
(本当は機関士本人の情報や上長氏名、月間予定等もあるが、とりあえず省略)
機関士用を基にしているので、電車や気動車の場合には項目名が異なると思うが、
体験運転(特に三笠と若桜の蒸気)の記録を書くのに使ってみたい方はご自由にどうぞ。
追:運転したことは無いが碓氷のEF63用に電機機関士用も追加
乗務日誌(機関士用)
乗務日誌(電機機関士用)
ダッチングマシン
先日知人と話をしていた際ダッチングマシンを知らなかったことに驚いたので書いておく。
ダッチングマシン、正しい発音ではデイティングマシーン。日本語で言えば日付印字機。
かつて駅で乗車券や入場券(勿論硬券である)を買った際に出札口でガチャッと日付を入れてくれた機械である。
確か製造会社は天虎工業と菅沼工業の2社があり、菅沼式のほうが古かった気がする。
ある程度力を入れないと印字されないため、軟券の場合には使用できず日付印を押していた。
現在も硬券を売っている駅では使っている場合もあるが、新規製造を行っている会社も無いので今後減る一方だろう。
個人的に使いたかったので、フォント化したので使いたい人がいればご自由にどうぞ。
天虎式ダッチングマシンフォント
使用に際しては特に制限を設けませんが、使用にあたり万一トラブルが発生しても当方は一切の責任を負いかねます。
感謝感激雨霰
昔は親しい友人間などの会話に洒落言葉を使うことがままあった。
例えば「おおあり名古屋は金のしゃちほこ」とか「其の手は桑名の焼きハマグリ」などである。
そんな中で感謝したときに使ったのが「感謝感激雨霰」である。
さて、「おおあり」、「其の手は」はの由来は夫々伊勢節と桑名名物であり、こちらは有名なのでご存知の方も多いであろう。
では「感謝感激」の由来とは之如何に。
由来は日露戦役の後に池辺義象によって作られた琵琶歌「常陸丸」である。
この歌は明治37年に陸軍将士を輸送中に露西亜艦によって撃沈された常陸丸の悲劇を歌った歌で、大変流行した。
そして、作中で露西亜艦の砲撃を表現した「乱射乱撃雨霰」が転化して「感謝感激雨霰」となった。
池辺氏の没後80余年が過ぎ、著作権も切れていることであるから如何に常陸丸の全文を示す。
征露の軍やうやうに、進み進みて南山の、険阻も巳に打ち破り、
音に聞こえし要塞の、旅順口も閉ざされて、
鷲の棲むてふ満洲も、君が御稜威の旗風に、今は靡かぬ草もなし、
心筑紫の島離れ、玄界灘のただ中に、吹く潮風に日の丸の、旗翻す常陸丸、
佐渡も続いて進み行く、船路の果は遠からむ、
何を荒ぶる荒潮の、逆巻く中の黒煙、只一筋に走り来て、我を取り巻く敵の船、
こは何事と云ふ間もなく、”乱射乱撃雨霰”、進み逃れんひまもなし、
千里を走る猛獣も、水に入りては如何にせん、万里を翔る大鵬も、浪には翼折れぬべし、
心ばかり逸れども、運送船の悲しさは、進退ここに谷まりて、詮方なくも敵艦に、任せ果てしそ是非もなし、
佐渡は如何にと眺むれば、霧に隔たり分かねども、同じやうなる運の末、
輸送指揮官須知中佐、是迄なりとや思ひけむ、大久保少尉の捧げたる、連隊旗をば手に受けて、
都の方をば伏し拝み、火を放ちてぞ焼きたれば、各将校も取取に、貴重の品々焼き捨てぬ、
この有様を打ち見つつ、中佐は軍刀抜き放ち、無念の涙はらはらと、落つるを袖に打ち払ひ、
万歳唱へて悠々と、腹かき切ってぞ失せにける、列なる将校始めとし、
下士兵卒に至るまで、同じ枕に伏すもあり、海投じて死するもあり、
敵弾ますます加はれば、甲板上はたちまちに、屍の山を築きつつ、流る血汐に玄海の、波は朱にぞ染みにける、
哀れ果敢なや常陸丸、君万歳の声細く、我が忠勇の将士等が、無念の涙打ち乗せて、
潮の泡と消えにしは、明治三十まり七年の、水無月中旬の暮れつ方、
夕日は波に落ちざれど、霧たち覆ふ海原は、黒白も分かぬばかりなり、
実に誠忠の兵士が、十年の間朝夕に、磨き鍛へし日本刀、
試さん敵を前に見て、遺恨の刃一太刀も、報ひん時もなくばかり、
駒の蹄に満洲を、踏みにぢらんも夢なれや、ウラルバイカル打ち越えむ、あらまし事も幻か、
思えば無念の極みなり、
嗚呼一連隊の我勇士、水漬く屍と消えしかど、国に殉ぜし大丈夫が、
清き其名は万代も、響きの洋に立つ浪の、絶ゆる時なく仰がれむ、末まで遠く流るらむ。
山には山の出汁がある
現在一般に関東地方で和食の出汁といえば鰹節と昆布あたりが定番で、少し下がって煮干や椎茸と云った所であろうか。
無論地方によっては鯵節や鯖節、アゴなどが主流のところもあろうが、東京の民であるところの私にはなじみが薄い。
さて、今挙げた出汁の種類は椎茸を除いて全て海産物であり、我国の食に於いてが如何に海産物が重要であるかがうかがい知れる。
だが然し、近年に於いてこそ保存技術や遠洋漁業、物流等々の技術促進や原材料の輸入増によって手軽に手に入るようになったが、
近代以前は山村ではそういった海産物製の出汁と言うのは高級品であり、おいそれと使えるものではなかったそうである。
そこで長野など山国で一般に使用されていたとされるのが川魚のハヤ(他の川魚もあるらしいが数の多き故にハヤが主流になったのであろう)である。
残念ながら現物にお目にかかったことはないが、釣ったハヤの腸を抜き日干し乃至は囲炉裏干しにするとのことであるから、
今も残る岩魚の骨酒に使う岩魚のような製法なのであろうと思われる。
知り合いの長野県民に聞いてみたが現在ではもう使われることも無くなったのか、その様な物は知らないとのことだった。
詳しい製法や、味わい、何時頃まで用いられていたか等々このハヤ出汁(川魚出汁)についてご存知の形が在れば是非ご教授ください。
情報は随時掲示板にて募集中です。
東久留米駅駅舎
2669年東久留米駅駅舎(現北口)が撤去されるということで、
現在の姿を記録し記念とす。
東久留米駅
フロアに戻る