猪苗代湖畔三城潟村の鎮守で、野口英世博士の生家(現野口記念館)の近くにある神社。 博士の通った小学校も近くにあり、子供の頃は良く遊んでいたとのこと。 大正4年に博士が帰国した際には、八幡神社に村人が集まって出迎えました。 其の時に博士は境内に献木しています。 大正6年に博士が腸チフスで危篤状態に陥ったときには、 村人が集まって博士の病気平癒を祈願しました。 大正10年に三城潟耕地整理碑を建立した際には、博士が揮毫し、 博士の恩師に当たる小林氏が撰文をしており、唯一の師弟合作のなりました