高徳院(鎌倉大仏)



鎌倉大仏
暦仁元年に木造で着工し、6年後に完成したが、宝治元年に大風で倒壊。
建長4年に現在の青銅像が鋳造され、当時は大仏殿の中に安置された。
其の後大仏殿は幾度もの大風や大波により失われ、遂に露像として知られるに至った。

大正12年の震災では、台座が崩れ大仏が前に傾いた。
大正13年9月に自社保存法により修理補助日の下付を受け、11月に修復工事起工。
大正14年5月台座及大仏の修復工事が完了した。
修復工事は、台座は内田祥三工学博士を顧問に戸田組が工事を、
大仏は帝室技芸院新海竹太郎氏を顧問に阿部胤斎氏施工により夫々行われた。

     



観月堂
元は朝鮮の京城にあったが、大正13年杉野喜精氏によって寄贈された。
其の後、内部には江戸後期作と見られる木造観音菩薩立像を安置している。










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