明治の初めに鈴木藤左衛門がこの地で駄菓子を作り始めたのが始まりと言われて居ます。 明治時代後半には暖簾分けによって店の数も増えていき、 大正12年の大震災で東京府の菓子製造の中心だった神田・浅草・錦糸町が壊滅的被害を受けると、 川越での菓子製造はより一層盛んになったそうです。 主力商品はチソパン・千歳飴・金太郎飴・麦落雁・水羊羹・花林糖などの他、数10種類。 現在では10余軒が生菓子・飴菓子を作っているにとどまって居ます。目次に戻る
現在の菓子屋横丁の様子1
現在の菓子屋横丁の様子2
現在の菓子屋横丁の様子3