甲府城址・謝恩碑


甲府城は慶長5年頃浅野氏によって造られた城で、御一新で廃城。
建造物はほぼ無くなり、葡萄酒蔵が作られるなどした後、明治37年舞鶴公園として公開。
大正6年に陸軍省所管の城跡を甲府市在村松甚蔵氏の寄付を元に払い下げを受け、県有地とする。
戦後舞鶴城公園として整備。

謝恩碑は甲府城址に建てられた約30.3mの石碑で、明治44年3月11日に山梨県内の水害対策として、
明治大帝より県内の山林整備のため皇室山林を下賜された事に対する感謝の意を表したもの。




     


建造期間 3年(大正6年12月〜同9年12月)
総工費 9万9千528円
設計 明治神宮造営局参与伊藤忠太工学博士、同局大江新太郎技師
なお形状はオベリスクを模している。











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