記念艦『三笠』
▲大正15年当時の『三笠』


▲現三笠公園にて展示される『三笠』

『三笠』嬢は、1902年に英ヴィカース社にて建造された、『六六艦隊』最後の艦であると共に当時最強の戦艦でした。
日露戦争ではGF司令長官東郷平八郎提督の旗艦として、黄海海戦、日本海海戦で指揮をとりました。
特に、日本海海戦では敵艦隊の集中砲火を受けるも、戦闘航行に支障無しというまさに鋼鉄の城です。
然し華々しい活躍に反して不運な事故がついて回る艦でもあります。
明治40年9月11日には佐世保軍港内で後部弾薬庫の爆発により沈没し、10月23日の凱旋記念観艦式に不参加。
大正10年にはウラジオストック港外アスコルド海峡にて霧に巻かれて座礁。
大正13年の関東大震災では岸壁に衝突して浸水、同年帝国軍艦籍より除籍。
其の後、1922年の華盛頓軍縮会議にて記念艦として永久保存が認められ横須賀市・白浜海岸にて余生を送っております。


戦艦『三笠』要目(新造時)  
項目情報よしなし
起工明治三十二年一月二十四日
進水明治三十三年十一月八日
竣工明治三十五年三月一日
基準排水量15140t
全長131.7m
全幅23m
最大速力18kt
航続力7000浬(10kt)
機関直立4気筒3連レシプロ蒸気機関2基
主要兵装30.5cm砲×4門
15.2cm砲×14門
7.6cm砲×20門
4.7cm砲×16門
45cm水中魚雷発射管×4門
機関銃×4門




尚、新造時の写真が、頂物展示場に展示してあります。
本ページに使用している写真の無断転載を禁じます。


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