あの日の日記長
此処では私が之までに入手した大正時代の日記帳から、大事件や大きな出来事のあった日の記述を中心に紹介することで、
当時の人達が何を感じ何を思ったかや、新聞記事などでは分からない細かな情報をお伝えして行きたいと思います。
尚、肉筆を解読するため若干の誤りや、欠字が出ることが予想されます。
又、個人名や住所、電話番号等は念のため伏せさせて頂きます。
大正10年3月3日(皇太子殿下御外遊) 茨城県つくば町 某記す
朝会をなし同時に本日東宮殿下東宮御所
午前八時三十分御出門、東京駅御発車九時三
十五分、横浜埠頭御付従事三十分、御召
艦(香取)十一時三十分一路○○へ、五月八日
○○着の為め東の方へ向き一同殿下の○戯
を三順せしめたり
本三日御旅第一日、本日以下の時間割発表
○は判読不能
大正10年9月3日(皇太子殿下御帰朝) 茨城県つくば町 某記す
午前七時半、東宮殿下外遊御帰朝出迎に付
奉祝(奉迎)の為め運動場に集合し他会
講演をなした午後六時公園に集合
し停車場の方へ来り幸屋、本町、俵町、郷町
四つ目橋を渡り郵便局にて解散す約一時間余り
歩○す
九時半頃大雨となる
○は判読不能
大正11年1月1日(元日) 茨城県つくば町 某記す
朝好雨午后二時止ム
上大尋常小学校新年祝賀式ニ参列
氏子は筑波神社ニ新年宴会あり
沼田 小学校ニ支比亜出征軍人に
銀杯(筑波町より)送興の授与式あり
各参列者ニ差合等相生ジ候
大正12年8月23日(帝國政府対独宣戦布告) 茨城県つくば町 某記す
晴天○○長男○○○来ル
××七時東京○○ヘ封出送ル
(以後数日見るも対独宣戦布告に関する記述無し)
大正12年9月1日(関東大震災) 茨城県つくば町 某記す
朝来強風午前八時迄雨強風二百十日前日
下宿○○○壱日来る
ヒル昼食時量とてよロし
十一時十分稀なる大地震
中管間上菅間東石田方面は地震路ニ当ルモノヤ
意外ナル強震ニテ家屋傾斜障子帯戸ノ破損等アリ
汽車本線荒川沖停車場前方ニテ転倒死傷者あり
汽車電信故障ニテ自転車ニテ夜中参ル
上京スル人々多数あり
大正12年9月2日(関東大震災続) 茨城県つくば町 某記す
汽車電信故障ニテ自転車ニテ夜中参ル
上京スル人々多数あり
ニ百十日当日無風晴天穏なり
昨日の地震ニて東京大火本所深川
下谷本郷方面全滅ノ情報あり
一同鉄道普通電信電他一般普通ニて
一向不明なりけり真壁町行
東京大火ハ西方ニ火焔上り
夜十一時立ルモ盛と焼へ居り○
大正12年9月3日(関東大震災続) 茨城県つくば町 某記す
出京スル人々来行す未だ真の景況不明ナリ
東京電他の方面へ地震火災の見舞郵送す
曇天あれ模様なり
阿見飛行場四台飛行機東京上空ニ飛び
偵察の結果報告ニハ
日本橋区京橋方面も一円ニ焼けたる趣き
○○○○○東京より本郷○○方へ書面依■(手偏に宅)す
夕刻 火消る趣き
大正12年9月4日(関東大震災続) 茨城県つくば町 某記す
東京大火の為ニ連絡を取れず ニテ
来ル八日迄一般銀行臨時休業四日間
晴天 暑穏和○○○○○○帰来
本郷同坂町ハ焼ケズ無事なる由
不逞鮮人東京より 地方へ流込ミニヨリ停車場警戒
大正12年9月5日(関東大震災続) 茨城県つくば町 某記す
本夕刻○○○○○東京より帰り○○○○よりの書面持参状況説明す
曇天穏和
大正13年1月26日(摂政殿下御婚儀)
木量サライ
摂政殿下結婚式アリ
大正15年4月19日 茨城県つくば町 某記す
尼港救恤の勅令本日の官報で公布
晴天益々早燥困也
○○○○来り仙台畑うない堅し
大正15年5月14日 茨城県つくば町 某記す
ニ港事件きうじつ勅令=(四月十六日)=より七月三十迄て申請の事
曇昨日より○○冷気 西北風強烈 寒気甚し
○は判読不能
大正15年5月27日 茨城県つくば町 某記す
曇天殆と梅雨の候滋気強く晴天なり 暑気
高柳事件予審決定の新聞に出つ
大正15年12月25日(天皇陛下御崩御) 茨城県つくば町 某記す
晴天 下女○○自宅帰
天皇陛下午前一時二十五分
崩御
○○○ミユ午后より仙代畑
○○へ電報
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