大正5年より数度にわたり興津の水口屋旅館に滞在した西園寺公望が、 大正8年に老後の静養の為に建てた別邸。 坐漁荘の命名は渡邉千冬子爵による。 当時は屋敷内から清見潟の景色を一望することが出来た。 なお、坐漁荘は昭和46年に明治村に移築され、 現在は跡地に改めて復元された坐漁荘が建てられている。 表通りから 玄関 前庭(海側)から 1階和室 目次に戻る