ぶらり奥多摩二人旅
皇紀2664年11月13日

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第二回 日原挺身斥候隊

本日はK氏と連れ立って東京は西の最果て『奥多摩』へと足を伸ばした。

拝島駅で待ち合わせ、前回と同じく小沢酒造を目指す。

先月の二拾幾日かに新酒ができたので、酒林はまだ半分くらい緑色。

其の後対岸の寒山寺に詣で、見晴台で昼食をとる。
何時も利用している道が封鎖中らしいので、
小沢酒造側に戻り、さかまんを食べつつ御嶽へ向かって前進する。




紅葉が美しく、カヌーを練習する人や、
絵を描く人が多く見られる長閑な光景であった。

御岳駅から奥多摩駅

奥多摩駅から日原への遥かな道のり
日原への道のりは険しく寂しい道である。
初めこそ氷川町など人家があり、人知れず史跡もある。


ふと見返れば、要塞の如く聳え立つ工場や、
かつて栄華を誇ったであろう廃線後なども見える。


然し、一度町を離れると全くと云っていいほど人家がない。
何処までも山と木と谷川の間を歩いていくのだ。

道は中々傾斜があり、あまり変化のない景色は我々の体力と気力を徐々に削いで行く

果たして本当に此の先に人の住む所があるのであろうか?
天候も曇りがちになってきた。
我々は無事に辿り着くことができるのであろうか。


大増と云うところを過ぎて暫行くと謎の鉄橋を発見した。
こんな所に何故鉄橋が、と思いつつ注視すると
橋の真ん中のあたりに置き去りのトロッコが、
何故にあんな所にトロッコが、
危なくないのだろうか、
などなど多くの謎を含みつつ鉄橋の下をくぐり只管に坂道を進む。


更に暫く進んだ所で道路整理をしていた初老の男性に、日原へ行くのか?と聞かれる
そうだ、と答えると此処から1時間50分もかかるぞと云われた。
大丈夫です。と答えつつ、若干の後悔を感じながら更に更に坂道を進む。

何処まで行っても人家は見えず…

所々に空き家があるばかり…


遂に人の気配がある所に出た。
と云っても隧道が走っている山の端に石灰か何かの採掘場があるのだ。
アレが地図に出ていた隧道か、之を抜ければもうすぐだ。
と思ったのだが、長い、暗い
全長1キロの隧道を歩くなど初めての経験である。
今まで以上に気力をそがれる道のりである。


遂に辿り着いた休日の乗合自動車最終点東日原。
其処では懐かしい大村昆のオロナミンC琺瑯看板が温かく迎えてくれました

さあ、此処からは2キロ20分。
鍾乳洞へ向けて最後の一頑張り、
いよいよ挺身斥候も最終段階だ。

此処からの道のりはさしたる物でもなく、
ゆっくりと景色を見る余裕を取り戻した。



関東随一の広さを誇る日原鍾乳洞。
然し階段などは狭いので中々恐ろしいところである。
其の上昨日の雨の為か堂内は到る所で水が出ており、
足元と頭上には細心の注意が必要であった。
それにしても鍾乳洞と云うのは何とも不思議な空間である。
普段地面の上に生きているときずきもしないが、
地底にはまだまだこのようなところが多くあるのだろうか。



あまりにも暗く寂しく険しい道を歩く勇気は起きず、
乗合自動車(なんと450円!!)を利用して下山。

前回と同じくもえぎの湯へと向かう。


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