上野恩賜公園


三大将軍家光公の御世に天海大僧正に命じて寛永寺を建立した。(寛永二年)
其の後さしたるへんかもなく幕末を迎えたが、
慶応4年の上野戦争で彰義隊と官軍の激戦が繰り広げられ、
寛永寺を含め上野山一面は焦土と化した。

和蘭人医師ボートランド博士の進言もあって、
明治6年1月の太政官布告によって公園地として指定された。

大正13年に帝室御料地であった同公園を東京市へ下賜された事を記念して恩賜公園の名が付いた。





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