流れ流れて伊豆大島
皇紀2665年9月21〜22日

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流れ流れて落ち行く先は〜

流人の島として有名な伊豆大島に流されました。
源為朝や赤穂浪士の子供と同じところです。ビツプ扱いと云う奴です、島流しの。

と、云うのは冗談で某重大用件の為に渡航しました。

東京は竹芝桟橋より東京湾汽船の高速船に乗り込みます。

嗚呼堂々の高速船
さらば祖国よ栄あれ〜



1時間40分で大島到着。
以前は東京(霊岸島)―大島(元村)間は6時間半(2円)だったと云うのに、
科学大国にして造船技術大国日本の勝利である。

以前の東京―大島航路と定番観光コース




そんなわけで大島元町公の桟橋より撮影。

乗合自動車の一日券を買い、一先ず宿に荷物を置く。
戻ってきたら乗合自動車は出たばかり、
停車場で観光客のお爺さん達とはなした後、
海沿いの道を郷土資料館へむけててくる。

思えば此のときから厭な予感はあったのだ。

  

何とも長閑でよい道である。
日差しは暑いが風が心地よく、過ごしやすい。

走行しているうちに愛宕山に到着。
山腹には帝国陸軍大島守備隊の防空壕や散兵壕があるとのことで興味が湧いたが、
革靴で蛇の出る獣道を歩くのは辛いので断念。



そんな訳で史料館到着。
平日なので客もなく貸し切りです。
史料館のおじいさんが色々説明してくれました。


橘丸の錨

       
左 昔の大島住宅   中左 隠居所   中右 母屋台所   右 母屋居間


そんなこんなで(どんなだよ)又も乗合自動車は下り1時間、上り2時間待ち。

・・・またですか。

仕方がないので予定を変更しててくって元町へ。
それにしても三原山の駱駝が今はいないと云うのはがっかりだ。

途中『雑魚や』と云う料理屋で昼食。
残念ながら本日は雲丹はないらしいので『べっこう丼』を注文。
べっこうとは島で取れる何とか云う白身魚を青唐辛子醤油でつけたもの。
辛くて美味。満足満足。
でもサザエは苦手。明日葉はもっと苦手。



元町へついたら神社の気配が下ので神社にお参り。
拝殿は新しかったが、向かい側の公園?に石碑があったので撮影。

更に歩いて火山博物館へ。
此処もやはり他に客もなく貸し切り状態。
火山について多いに学ぶ。



其の後外で三原山火口探検用のゴンドラ(複製)を発見。
こんなんで潜るとは、勇気があると云うか無謀と云うか。



弘法浜でぼけっとする。
火山のせいか砂が黒い。
南の島なのに白砂ではない事はちょっとした驚き。



そんなこんなで一度宿に戻って温泉へ。
(とうとう乗合自動車の券は使わずじまい。)
ついでに赤門やら銅像やらゴジラやらを見る。

  

温泉『浜の湯』
泉質:不明 効能:不明
温度:ぬるめ 眺め:良好
備考:水着着用 混浴



野天はいいねえ、水着来て風呂入るのは色々間違ってる気がするけど。
晴れていれば伊豆方面が見えるらしい。
青い空、そよぐ風、船の汽笛。
いいねえ。素晴らしい。

時は流れて夕食時。
魚がようさん出て来る出て来る。
旨い。然し量が多い。でも旨いので全部食べる。
とりあえず明日は魚はいいや、云。

明けて翌日、朝から雨。
本日は某重大用件の為四半日ばかり出掛ける。

宿の方の御厚情でもって四半日ばかり荷物を預かって頂き用事を澄ませ、
服を着替えて御土産を買いに船の時間までぶらぶら。



牛乳煎餅とクサヤ、椿油が昔ながらの大島土産定番コースだ。
牛乳煎餅は中央左の赤い看板の恵比寿屋が有名だとかどうだとか。

時間があるので更にぶらぶら。


なんか南の島っぽくて良いなあ。

  
船の待合所の外と中。学生さんがたくさんいました。


とうとう船が着いた。
いよいよ島との別れの時だ。

さーらーば大島よ〜
また来るまーでーは〜

何時何時までもお達者で。


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