オーストリー・ハンガリアン帝国カルルスバード生まれのマイスター。 日本で製缶業者に食肉加工技術の指導を行った後、紆余曲折を経て函館に食肉加工工場を設立。
年 | 月日 | 出来事 |
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大正元年 | 月 日 | マイスターの称号を取得 独ベルリンのハイネン・カンパニー社に就職 |
大正3年 | 月 日 | ノルウェーのフェレススラクテレート社で製缶技術を学ぶ |
大正4年〜 | 月 日 | |
大正8年 | 月 日 | サンフランシスコ航路で来朝 ふとした縁で東京の東洋缶詰で食肉加工の技術指導を行う。 函館の日米合同の缶詰会社に赴く。 |
大正9年 | 月 日 | セール・アンド・フレイザー社社長の依頼でカムチャッカの缶詰工場の鮭缶を点検。 投宿していた函館東浜町勝田旅館で後の妻勝田コウと出会う。 |
大正11年 | 月 日 | 冬にコウと駆け落ち。中国天津で落ち合い帰郷。 カルルスバードの協会で挙式 ハム・ソーセージ店開業 |
大正13年 | 月 日 | 函館でのハム・ソーセージ店開業を決意し米国経由で日本を目指す。 米シカゴのアーマー社で10ヶ月勤務、給与で機械を購入。 |
大正14年 | 月 日 | 来朝、函館でコウと正式に結婚。 函館駅前の弁当屋の2回に工場を開くが不振。 東京、横浜、神戸、京都のホテルへ売り込み。 道庁へ畜産振興を進言、受け入れられず。 |