関東大震災

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東京府の被害
東京府は大きく2つに分けられ、それは御府内(東京市内)と其周辺の郡部である。 震度はおおむね台地(郡部)では軽く、低地(御府内)との接点にある下町において特に激しかった。 それでも府全体としては相模湾沿いの神奈川県や、 房総半島南西部荷比較すると若干震度が弱かっが、 家屋被害は全壊16,684戸、半壊20,122戸という多大な物だった。 警視庁調査によると東京市内の被害は焼失30万1236戸(40万7992戸とも)、惨死人員7万1615名 (焼死5万6774名、溺死1万1233名、圧死3608名)、負傷者3万1672名。 9月18日までに収容された遺体は5万9048体、内遺族に引き取られた者1175体。 残された身元不明の遺体は、本所陸軍被服廠跡、浅草待乳山焼跡、浅草区役所跡、 浅草区田中町焼跡、浅草区七軒町小学校焼跡、浅草区東本願寺焼跡、浅草区吉原公園焼跡、 神田三崎町河岸、築地西本願寺焼跡、を臨時火葬場に指定して荼毘に付した。 府内震災記録写真
東京府内家屋被害状況
東京市内東京市外(郡部)
全壊半壊焼失罹災人口町村全壊半壊町村全壊半壊
麹町区337不明3,23913,700 北豊島群板橋町2637 南足立群千住町1,0011,064
神田区193946,100163,512 巣鴨町60 西新井村126
日本橋区不明不明26,077152,323 滝野川町133104 江北村3352
京橋区不明4749,299152,629 日暮里町482699 舎人村45
芝区39877721,54694,612 三河島町1,7291,196 梅島村38160
麻布区7219541560 南千住町1,6203,110 綾瀬村4422
赤坂区3235022,36910,655 尾久町350800 東淵江村1319
四谷区1243317722,185 王子町1,2541,129 花畑村7720
牛込区5151,001-- 岩淵町293587 淵江村1511
小石川区4628481,5144,917 板橋町2637 伊興村1912
本郷区35769610,78630,497 志村1518 荏原群品川町92239
下谷区34055337,098170,918 上板橋町40 大崎町95122
浅草区13311881,237281,948 赤塚村42 目黒町413
本所区49347973,902291,027 大泉村00 世田谷町1716
深川区不明不明49,037197,037 上練馬村29 松沢村13
下練馬村11 平塚村01
石神井村00 碑衾村00
長崎村104 玉川村70
中荒井村01 駒沢町17
高田町508 馬込村7535
西巣鴨町1210 調布村07
北豊島群小松川町86343 矢口村828
松江村2920 池上村23135
葛西村165 入新井町95133
瑞江村2432 大井町1747
鹿本長04 大森町294785
小岩村03 蒲田町2617
金町村00 六郷村4115
水元村25 羽田町3501,849
新宿町27 豊多摩群中野町1411
奥戸村024 野方村175
吾嬬町615874 和田堀内村1024
本田村50 杉並村1039
南綾瀬村5215 井萩村217
隅田長298881 高井戸村622
寺島町442427 大久保町1313
亀戸町451370 戸塚町1734
大島町540810 落合村28
砂町499468 淀橋町3350
南多摩群横山村521 代々幡町229151
浅川村15 千駄ケ谷町58192
元八王子村20 渋谷町33142
恩方村11 北多摩群府中町350
川口村00 西府村43
加住村00 保谷村62
小宮村01 立川町00
日野町47 砂川村00
七生村33 村山村00
由木村3781 東村山村23
多摩村2771 清瀬村00
稲城村4539 小平村01
鶴川村40104 国分寺村40
南村57100 武蔵野村21
町田町130264 三鷹村00
忠生村70150 神代村01
堺村5290 千歳村00
由井村710 砧村33
狛江村00
調布町71
多摩村315
罹災民収容状況 屋内収容者128,942人、屋外居住者103,998人、自家製仮小屋居住者122,908人、合計355,848人。 尚、屋外居住者には公設天幕バラック及び公園等急造小屋居住者を含む。 屋内収容者の内官営学校等に居り、急速移転を要するもの28,398人。 東京市内定住者と避難民(9月28日現在)
定住者避難民合計
麹町区53,81823,25577073
神田区10,82026,02236,842
日本橋区---80,19880,198
京橋区1,95419,46721,198
芝区96,26951,582147,851
麻布区93,26951,582147,851
赤坂区45,45621,66667,121
四谷区66,38836,442102,840
牛込区27,44646,278173,724
小石川区137,99848,565186,563
本郷区106,87754,033160,910
下谷区33,65349,46083,113
浅草区2,80490,86793,671
本所区4,68053,74058,120
深川区---38,46738,467
東京左官職組合員及び家族被害 惨死者  101名 罹災戸数 530戸 東京市内警察官被害 殉職     33名  殉職者は一階級特進 不明     45名 負傷    1000名以上 疾病、入院  232名 東京市小学校職員 死亡  校長 3名     教員 9名 不明  教員 20名
埼玉県の被害
地震による家屋被害は全壊4,562戸、半壊4,348戸
茨城県の被害
地震による家屋被害は全壊157戸、半壊267戸
静岡県の被害
地震による家屋被害は全壊2,241戸、半壊5,216戸
山梨県の被害
地震による家屋被害は全壊562戸、半壊2,217戸
千葉県の被害
千葉県全体 地震による家屋被害は全壊12,894戸、半壊6,204戸 館山湾を望む房総半島南西部沿岸の被害は特に甚大。 那古 900戸の人家のことごとくが全壊。 館山 戸数1,700戸の99パーセントが倒壊し、 付近一帯の田圃が2m沈下し、砂が噴出すという現象が発生。 北条 地震による家屋被害は全壊1,502戸、半壊47戸 奇跡的に残った古河銀行、房州銀行を除く全ての建物が倒壊。 (群役所、中学校、停車場などの全てが全壊し、民家は柱1本残らなかった。) 電柱は傾き、電線は切断、文字通り町全体が壊滅。 地割れは深さ2mに及び、陥落地域も多く、 測候所や小松屋旅館などが亀裂の中に落ち込んだ。
神奈川県の被害
神奈川県全体 地震による家屋被害は全壊46,719戸、半壊52,859戸で、 此れは総家屋数274,300戸の内36パーセント強にあたる。 亦、其の他に津波による流失が425戸あった。 各地で地割れ、山崩れ、河岸崩壊、橋梁倒壊などが発生し、 鎌倉の大仏も50cmほど地中に沈んだ。 横浜 地震による家屋被害は全壊98,900戸、半壊10,732戸で、 此れは総家屋数98,900戸の内20パーセント強にあたる。 特に洋館は耐震性が皆無であった為、次々と倒壊、 内外人に親しまれたグランド、オリエンタル両ホテルも倒壊し、 内部にいた人々は逃げるまもなく圧死、外人多数が死亡した。 官庁も大半が崩れ、横浜裁判所では末永所長を含む100余名が全員死亡した。 小田原 崖は一斉に崩れ、橋は落ち、家屋は崩れる等の被害が発生 同町小峰にあった閑院宮御別邸も倒壊し、 滞在中の寛子女王殿下が下敷きとなって圧死した。 箱根 家屋866戸が倒壊し、旅館が断崖から渓谷に落下して四散。 特に、塔の沢では渓流が崖崩れにふさがれ鉄砲水が発生。 旅館其の他の家屋が流失した。 横須賀 丘陵の地すべり、トンネルの崩壊が発生。 トンネル崩壊により列車3両が埋没、 浦賀、逗子、葉山、大磯、平塚、藤沢、鎌倉等の家屋も軒並み倒壊し、 家屋の倒壊総数は、2301戸に上った。 平塚海軍火薬廠では、ガス爆発が起こり構内の建物22棟が飛散した。 亦、藤沢の吉村別邸では東久爾宮師正王殿下が、 鎌倉の由比ヶ浜別邸では山階宮妃が夫々圧死した。
鉄道被害状況
車種番号地震遭遇場所
貨車411入江
客車112程ヶ谷〜横浜間
客車79戸塚〜大船間
貨車605大船
貨車624大船
貨車400大沢〜藤沢間
貨車600藤沢
貨車625茅ケ崎
貨車410茅ケ崎
客車74平塚〜大磯間
貨車630下曽我〜国府津間
貨車602下曽我〜松田間
貨車423山北〜谷峨間
貨車409御殿場
貨車920岩波
貨車32鎌倉
客車514田浦〜沼間間
客車109根府川
客車116根府川
荷車852長津田
荷車992取手
客車814荒川沖〜土浦間
荷車261岩井
客車211北条〜九重間
大震災による鉄道への被害は大きく、線路の破壊、進行中の列車の脱線転覆を引き起こした。 遭難した列車は24列車、其中にはトンネル内を進行中埋没した物もあった。 乗客の被害は即死123名、重症後死亡8名、重傷者51名。 上表の内でも、震源地に近い相模湾沿いを走る東海道線は被害甚大で、 機関車、列車とも全車横倒しとなる物も多かった。 中でも最も被害が大きかったのは第109列車(根府川)であった。 同車は午前11時40分小田原発で、11時58分過ぎに根府川のプラットホームに進入。 機関車のみホームに入ったところで地震に遭遇。 車両は宙に浮き、左方40m下の海岸へ転落。 其れと同時に、駅いったいに地崩れが起こり、 駅舎等が列車を追うように落下し、海中に没した。 乗客170余名中助かったのは水泳が得意な学生30余名と機関手1名のみだった。

府内駅舎等鉄道施設被害 東京駅構内の鉄道省と改良事務所は火災に遭うも駅への類焼は防がれた。 新橋、万世橋駅内部は火災の為焼失。 其の他の殆どの駅舎も地震による倒潰ではなく、 火災による焼失被害にあった。 煉瓦造りの東京駅、新橋、万世橋駅本屋は地震による被害は受けず、 設計施工の質の高さを知らしめた。

機関士の体験 宇都宮発大宮行き580列車(大宮着1240予定)19680号機関車乗務の機関士の体験談(鉄道第93号より抜粋) 機関車の出発前点検を半分省略。 宇都宮駅を約4分遅延して発車、遅れをなくすべく速度を上げて小山駅へ。 小山駅出発後少しして大きな揺れを感じ、急停車。 点検の結果フレームと車輪が引っ掻きあっていたが其の外に異常は無く、故障は見当たらなかった。 近くにいた線路工夫も何事も無く弁当を使っていたので、不審には思ったが出発作業に入った。 レギュレータを握って出発しようとすると、再度強い揺れが発生した。 この時点では地震とは気が付かず、機関車の故障(点検の省略によるミスで)だと思った。 再度機関車の点検を行ったが異常は無く、どうにでもなれと発車した。 調子も良く白岡駅も無事に通過し、スチームも益々好調なので約40マイルの速度で遅れを取り戻そうとした。 白岡駅と蓮田駅の間の小鉄橋の近くでまた揺れた。前方を見ると線路と鉄橋が食い違って断線しているのを発見。 非常停車の手配をし、助手に「しっかりつかまっていろ」と怒鳴ったが、墜落を覚悟した。 鉄橋の真ん中で機関車は停止。線路の食い違いは揺れていたせいだった。 其の後徐行しながら蓮田駅へ到着。 途中踏み切り前の団小屋がひどく傾斜していたり、駅前の運送屋がつぶれて家内中が電信柱につかまっていたのを見た。 安全第一の国鉄としては危険の伴う運転は避けねばならないが、 第一線の者は機関車が健在で、運転中止の命令がない限り、差し当たり線路が駄目だという確証が無ければ勝手には止められない。 震災のときも中止するかどうかという議論はあったが、結局注意運転することになった。 よって全列車を点検したところ列車後部の貨車のバッファとバッファが食い違って重なり合っていた。 駅員と協力して解除し、蓮田駅を発車。 砂信号上で一度停車して状態を聞くと、色々な流言があって大騒ぎで出発支持は駅でもわからなかった。 覚悟を決め大宮まで運転。 無事到着したときには助手と固く手を握り合った。 主要路線の状況 東海道線 沼津―御殿場間9月4日開通 品川―鶴見間9月5日開通 御殿場―茅ヶ崎間9月20日開通(山北―谷峨間13町、平塚―茅ヶ崎間23町徒歩連絡) 茅ヶ崎―東京間9月21日開通(馬入川約22町は渡船渡河の連絡) 中央線 御茶ノ水―水道橋間土砂崩れ 神田―飯田町間各駅焼失 與瀬―上ノ原間の築堤5フィート沈下 上ノ原―四方津間、第一隋道亀裂、鶴川橋梁5フィート沈下 初狩―笹子間、第一笹子川橋梁傾斜 勝沼駅上下本線沈下 甲府―韮崎間地盤陥落等により一時不通 9月3日、新宿―八王子間開通 與瀬ー淺川間9月5日東京へ開通(山上15町徒歩連絡) 東海道線不通のため関西方面からの入京者で大混雑 10月5日全通 東北本線 赤羽―川口町間で荒川にかかる橋梁の一部が沈下 修理により9月4日から日暮里まで開通 避難民が日暮里駅に殺到し大混雑 信越線 関西、北陸方面からの入京者で大混雑 常磐線 荒川沖―土浦間で列車墜落 北千住―我孫子間は9月4日開通 9月22日、上野駅仮駅完成に伴い東北、信越、常磐の各線が同駅より直通 房総線 両国―亀戸間不通 横須賀線 大船―鎌倉間以外不通 貨物 各線とも運転不能、9月30日取り扱い再開
土蔵の被害
耐火建築である土蔵も、此の度の震災で大多数の被害を受けた。 実際に猛火及び強震に耐えたものは約100軒前後であった。 此の結果を踏まえ、次の様な考察が東京左官職組合より発表された。 1.耐火し得た土蔵の多くは二重角、小蛇腹付鉢巻のものである。 2.当初、焼失原因は地盤軟弱なる事による強震により屋根瓦が落とされたためと見られたが、  焼失した土蔵の全体としては必ずしもそうとは限らず、  実際に被害が多かったものは風窓蓋が無いもの、修理を怠っていたものであった。 此の権に関しては引き続き調査検討が行われることとなる。 又、同組合による調査では、煉瓦造りの蔵で耐火したものは、 焼過煉瓦を用い、厚さ1枚半積以上、窓及び戸口は従来型もので二重三重以上である。
仮設施設等 バラック  内務省、東京府市、警視庁、三井等の設営で、各30万人を収容、25日完成。 簡易食堂・公設浴場  日比谷、上野、芝各公園、青山外園内、代々木練兵場、他 赤十字社病院・救護所  東京府  本社病院、産院、福田会内本社病院分院、他25箇所救護所、臨時病院4箇所  神奈川県 根岸療院、他19箇所救護所、臨時病院1箇所 艦船  横浜  太平洋汽船エム・エシア号、東洋汽船コレア丸、其の他に罹災民の収容と炊き出し  横須賀 廃艦に遭難者を収容
陸軍による支援
海軍による支援 9月2日 第一艦隊(竹下海軍大将)の一部を東京湾に入れ、警備・通信を行う 軍艦周防他2隻にビスケットと飲料水を満載し呉軍港出港 駆逐艦谷風、江風に大阪にて救援物資(漬物、牛肉類、戦時乾パン)を満載し、同任務の室蘭丸とともに出港 巡洋艦利根に各種食料を満載し佐世保出港 9月4日 軍艦磐手、浅間、八重、吾妻、出雲に各種食料を満載し佐世保出港 第四戦隊(金剛、霧島、比叡)佐世保出港 9月6日 軍艦大井、球磨に玄米、材木、慰問品を満載し民間船とともに横浜へ向けて大阪を出港
諸外国からの救援等 亜米利加 クーリッヂ大統領より列強元首中最初の見舞い電報 赤十字を中心とした基金の募集(目標500万ドル、18日に800万ドルに達す)、米亜細亜艦隊及西海岸船舶の派遣を決議 9月6日に食料と衛星材料品を満載し米亜細亜艦隊艦が芝浦到着(救援艦として列国中最初に到着)、 後続の救援艦も食料、被服、医療、建材等を輸送し、救援隊による配給所や野戦病院を開設 英国 英国国王陛下より聖上陛下へ直接親電を発簡、義捐金250ポンド下付 ロンドンや救世軍を中心とした義捐金の募集 英国東洋艦隊の派遣 中国派遣隊所属艦(旅順停泊)に食料他を搭載し派遣 豪州 義捐金の外、麦粉、肉類、建材、消毒剤を満載した艦船の派遣 カナダ エンプレス・オブ・ロシアに麦粉、木材、練乳他を搭載し派遣 政府と赤十字による義捐金募集 英領印度 1万5千ポンドの義捐金 南アフリカ とうもろこし5千袋を郵船にて発送 仏蘭西 ミルラン大統領より聖上陛下に対し見舞い電 9月7日全官公庁で半旗、興行施設休業を行い弔意を示す 各種義捐金の募集 仏東洋艦隊所属艦コルマール(旅順停泊)に食料他を搭載し派遣 伊太利 ムソリー首相より山本首相あて弔電 9月8日全国に半旗、音曲停止命令 巡洋艦カラブリヤ(上海停泊)に食料他を搭載し派遣 独逸 ブルフ駐日大使が最初に参内 焼失図書の回復に協力の旨 他(欧州諸国、露西亜、中華民国) 義捐金、物資、人材等多数

震災に伴う誤報・流言
誤報 江戸川筋が震源 秩父噴火によって地震が起こった 爆発物による放火 横浜に温泉が湧いた 夜間通行禁止令 良家の子女がヨタカに 500名の朝鮮人暴徒が東京に侵入 吉原遊郭の遊女1000人が死亡 流言 摂政宮殿下が飛行機で京都へ避難なされる 宮城の二重橋が傾いた 青山御所全滅 本日(9/1)午后7時に揺り返しがある 国民新聞社長の徳富猪一郎は相州で津波にさらわれた 松方老公が鎌倉の別荘で圧死 安田善次郎は横綱卓で焼死 朝鮮人が井戸に毒を投げ込む 浅草寺で井戸に毒を入れようとした朝鮮人の女が捕まった 上野公園で首吊り自殺千人 市谷・巣鴨の監獄で囚人を開放したので強盗窃盗に注意 市谷・巣鴨の監獄で囚人数百名が看守を殺して脱走した 社会主義者や朝鮮人が返送して荷物に爆弾や拳銃を隠している 山本首相が憲政会の人間に暗殺された 牛込神楽坂から大本教信者が爆弾を持って自動車に分乗して襲撃に出掛けた 赤坂見附で朝鮮人を乗せていた自動車運転手が青年団に両腕を切り落とされた 上野動物園で動物の脱走を防ぐため皆銃殺した 鉄道省の大宮工場が倒壊して死者300人 伊豆大島が噴火爆発した 震災に関する犯罪と刑法
戦時や天災(震災)、事変の際に人心及び経済の安寧秩序を守るための刑法。 前記の流言を故意に流布した場合は、下記の刑法に抵触する場合がある。 刑法一〇五ノ二T 人心を惑乱することを目的として虚偽の事実を流布したる者は 五年以下の懲役若くは禁錮又は五千円以下の罰金に処す 刑法一〇五ノ二T 銀行預金の取り付け其他経済上の混乱を誘発することを目的として虚偽の事実を流布したる者は 七年以下の懲役若くは金庫または五千円以下の罰金に処す 刑法一〇五ノ三 戦時、天災、其他の時変に際し人心の惑乱又は経済上の混乱を誘発すべき虚偽の事実を流布したる者は 三年以下の懲役若くは禁錮又は三千円以下の罰金に処す 刑法一〇五ノ四T 戦時、天災其他の事変に際し暴利を得ることを目的として金融界の撹乱、 重要物資の生産又は配給の阻害其の他の方法により 国民経済の運行を著しく阻害するところある行為を為したる者は無期又は一年以上の有期懲役に処す 刑法一〇五ノ四U 前項の罪を犯したる者には情状により十万円以下の罰金を併料することを得 震災に関する法 鉄道営業法
第一章第十七条
天災事変其の他已むを得ざる事由に因り運送に着手し 又は之を継続すること能わざるに至りたるときは 旅客及荷送人は契約の解除を為すことを得 此の場合に於て鉄道は既に為したる運送の割合に応じ 運賃其の他の費用を請求することを得 衛兵必携(大正15年発行)への記述より抜粋 第三節 衛兵と兵器の使用 (中略) 2、多衆集合して暴行を為すに当り、兵器を用うるにあらざれば鎮圧するの手段がない場合 (中略) 大正十二年の大震災の時には恐怖心に充ちたる群集と血気にはやる自警団の間にあって大惨害を目前に眺めて 警備に就いた軍隊にやや常軌を逸したるものあるは多少酌量の余地はあるけれども 又平時における訓練研究が十分でなかったことに起因するのである 新聞に戻る フロアに戻る
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