鉄道院書記、復興院書記官 十河信二
明治42年東京帝大生時代に後藤新平に紹介され鉄道院入りを進められ、
後に鉄道院、復興院に勤め、満鉄理事、帝国鉄道教会理事、鉄道弘済会会長等々・・・
日本国有鉄道総裁就任後は新幹線の開業に向けて尽力。





月日出来事
大正3年12月 日次男誕生、夭折
大正5年4月 日三男誕生
12月 日米国留学準備の為鉄道院休職
大正6年2月 日米国留学
大正7年8月 日帰朝
9月 日鉄道院復職
大正9年 月 日四男誕生
大正12年8月 日中国出張準備
9月 日出張中止、帝都復興院書記官に任官
大正15年1月 日復興院疑獄容疑者として東京地裁召喚
1月 日依願退官
5月 日保釈
9月 日次女誕生
復興院疑獄容疑に関しては、昭和2年に地裁にて有罪判決が下るも、 同4年東京控訴院にて無罪判決が確定(冤罪確定)した。

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