鉄道博物館


かつて国鉄万世橋駅跡に作られた交通博物館を前身とする博物館で、
大宮へと移転された際に展示内容を鉄道に特化し、名称を鉄道博物館と改めた。
館内外に貴重な鉄道車両や、部品、資料等を展示し、
国有鉄道(現JR)を中心とした我が国の鉄道史を学ぶことができる。


鉄道博物館入り口前回廊

 
鍛鋼製車輪 大正3年頃製造(推定)     鋳鋼製車輪 大正期?製造   

鍛鋼製車輪は別名エルハルト式車輪とも云い、蒸気ハンマーによる鍛造で整形される。
非常に優秀な車輪だが、製造コストが高く余り普及しなかった。

鋳鋼製車輪は扶桑金属工業(現住友金属工業)製で、戦前戦後における国鉄の標準型車輪。
展示品は電車用の車輪のため歯車が付いている。


D50型蒸気機関車動輪
大正12年に製造開始された幹線貨物用蒸気機関車であるD50形蒸気機関車の動輪。
直径1400mmで、上記2種の車輪に比べて倍以上の大きさ。

館内展示車両 国鉄

 
ナデ6110形電車                  ナデ6110形電車車内


ナデ6110形電車先頭部

ナデ6110形は山手線や中央線などで活躍した通勤電車である。
3ドア、ロングシート装備の92人乗り、全長16mの大型2軸ボギー車。
集電装置は古典的なトロリーポール、車体は漆塗り木製車体。
展示車はナデ6141号三等車

 
マレー式機関車                    マレー式機関車カットモデル側

マレー式機関車は1個のボイラーに2組の走り装置、高・低圧2種のシリンダを左右に備えていることが特徴。
走り装置を2組持っているため出力が高く、動輪数が多いため軸中が抑えられ空転しにくい他急カーブに強い。
欧州や米国など大きな輸送力を求められる路線や急勾配の路線で使用された。
我が国では丹那隋道完成以前に東海道本線の急勾配区間で活躍した。
展示車は大正元年に独ヘンシェル・ゾーン社製造の9856号。



C51形蒸気機関車(18900形蒸気機関車)

高速旅客用として大正8年に開発された蒸気機関車で、
開発当初は18900形とされたが、昭和3年にC51形に改められた。
東海道本線及山陽本線における急行列車用として設計され、
当時狭軌鉄道最大の1750mm動輪とパシフィック形軸配置を採用した。
平坦線にて500トン牽引状態で速力60マイル、
10‰の勾配にて350トン牽引状態で速力30マイルの速力を有す。
高い性能と安定性を兼ね備え、御召列車専用機関車にも使用されている。
本形式の導入により大正10年8月1日のダイヤ改正より運転時間の短縮が図られた。
全製造数は289両。
写真は大正9年に浜松工場で製造された5号車。
(大正9年度末浜松工場にて15両製造、以後民間にも発注)


国有鉄道初の国産電気機関車として大正9年に開発された。
信越本線の横川−軽井沢間(碓氷峠を越えるため通称碓氷線とも)の急勾配路線に活躍。
特徴としてはアプト式の採用や発電ブレーキ、第三軌条式の集電装置を備える。
写真は大正10年に大宮工場で製造された10号車。


館内展示車両 御料車

7号御料車

大正4年の御大典に際し、天皇皇后両陛下の御料車として、大正3年新橋工場で製造された木製3軸ボギー車。
螺鈿や蒔絵細工がふんだんに施されている
8号御料車

貞明皇后(大正天皇の皇后)の御料車として、大正5年に大井工場で製造された木製3軸ボギー車。
昭和10年に廃車された後女官室のみ保存された。
9号御料車

7号御料車に付随する食堂車として、大正3年に新橋工場で製造された木製3軸ボギー車。
10号御料車

大正11年の英国皇太子殿下来日に際し、国賓用展望御料車として多い工場で製造された木製3軸ボギー車。
12号御料車

摂政宮殿下の御召車として、大正13年に多い工場で製造された木製3軸ボギー車。
最後の木製御料車で、洋風の内装を備える。
館内展示車両 私鉄 松山人車軌道車両 人車とは明治から大正期にかけて活躍した小規模の人力鉄道である。 レール上に配置された無動力の客車を後方から押すことで貨客を輸送する。 建設や設備にかかる初期投資が少なく、安い人件費などが利点となり鉄道網の発達以前に隆盛を誇ったが、 其の性質上輸送力が小さく速度が遅いなどの欠点があり、 徐々に電車や気動車、乗合自動車などに置き換えられ、大半が昭和初期までに廃止されている。 展示車両の所属していた松山人車軌道は大正11年11月1日に開業し、昭和3年3月31日に廃止されている。 東京駅外壁赤煉 2669年に新たに設置された0系新幹線新幹線展示室の片隅にある東京駅外壁赤煉瓦。 北端角部の八角等の外壁に使われていたもの。 この部分より上が3階になり、戦災による被害後はこの部分に屋根をかけるよう改修された。 角材やモルタルは改修によるもの。 関東大震災時、根府川駅で駅舎と共に海中に没した977号機関車のナンバープレート。 大正時代の三等車の座席 番外 大正時代の単車



目次に戻る
inserted by FC2 system