現埼玉県所澤市は、航空発祥の地であるとともに、 明治から昭和初期にかけて織物の町として大いに栄えました。 大正時代に入ってからも『湖月縮』という新柄が川越染色学校製によって考案されました。 大正11年に、入間郡内の織物を総括する『所澤織物同業者組合事務所』が、 所澤市元町交差点角に立てられ、白亜の西洋館として町のシンボルとなりました。