大正から昭和初期にかけて活躍した活弁士。 本名は福原駿雄。 初めは清水霊山に弟子入りし、福原霊川と名乗った。 活動写真がトーキーに移行した後は其の卓越した話術で売り出した。
年 | 月日 | 出来事 |
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大正2年 | 8月31日 | 第二福宝館(東京桜田本郷町)で見習い弁士となる。 三日後から説明台に立つ。初任給月10円。 |
大正3年 | 月 日 | 秋田市に新設された凱旋座に主任弁士として赴任 |
大正4年 | 秋 | 東京は赤坂、葵館に務める。 此の時より徳川夢声と名乗る。 |
大正6年 | 月 日 | 主任弁士に昇進 |
大正10年 | 4月 日 | 日活から松竹に移籍し、銀座の小春館に勤務 |
12月 日 | 神田は東洋キネマに移る | |
大正14年 | 1月 日 | シネマパレスに移る |
9月 日 | 新宿は武蔵野館に移る |