大正人名簿

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ここでは大正時代を生きていた人々を中心として、
大正時代にお亡くなりになられた方や、
大正時代にお生まれになった方を紹介していきたいと思います。


大正人名簿
氏名職業亦は爵位等よしなし
赤松則良海軍中将大正9年9月23日没、享年78歳
明治9年横須賀造船所所長となり、初の軍艦建造を指揮。
長女登志子は森鴎外の妻。
葦原将軍
(葦原金次郎)
自称将軍元は金澤の櫛職人だったが前田侯の馬車に無礼をはたらき、
東京府立巣鴨病院に収容される。
手製の大礼服を着用し、訪れた人に勅語を下した名物男。
有馬良橘
(りょうきつ)
海軍軍人大正8年海軍大将に任じられる。
日露戦争においては旅準港閉塞作戦を立案し、指揮官として参加した。
又、シーメンスジケンの際には八代海相の要請で査問委員を務める。
安藤博工学博士・発明家我国唯一の個人所有たる学術研究用無線電信電話研究所を設置。
発明の天才として第二のマルコニーと称され、無線電信電話に関する54種の特許を有する。
井坂孝氏族
元東洋汽船常務
横浜海上火災専務
大正4年に東洋汽船を退社し、横浜海上火災専務となる。
其後、横浜取引所理事、横浜興信銀行、74銀行其の他に関係し、
横浜商工会議所会頭ともなり、更に其後東京瓦斯社長。
石原健三北海道庁長官明治44年5月16日から大正元年12月28日の間北海道庁長官を務める。。
伊集院五郎海軍大将元帥大正10年1月13日没、享年68歳
英海軍大学を卒業し、明治33年に魚雷用新刊を発明
日露戦争で大戦果を上げた。
石塚栄蔵東洋拓殖株式会社総裁
貴族院議員
過去に法制局参事官、捕獲審査所評定官、
関東洲民政長官、朝鮮総督府農商工部長等を勤める。
大正4年に東洋拓殖総裁と為り、昭和4年には台湾総督となる。
泉鏡花
(泉鏡太郎)
小説家・戯曲作家数々の小説、戯曲を書いた。
『海神別荘』、『婦系図』などが有名。
磯高麿陸軍軍人後に二・二六事件当時、牛込憲兵分隊分隊長を務める。
乾新兵衛船舶業者大正14年現在の帝國最高納税者。
納税額は248,308円
岩野泡鳴
(ほうめい)
小説家・詩人大正9年5月9日没、享年47歳
詩人として活動後、小説『耽溺』を発表し自然主義作家の地位を確立
梅村蓉子(鈴木花子)活動写真女優松竹から日活に移籍し、大地は微笑む、赤き夕日に照らされてなどに出演
宇垣纏海軍軍人大艦巨砲主義を信じる冷静沈着な提督
江口源吾海軍軍楽科/th>大正8年に海軍軍楽隊に入隊し、トロンボーンを専攻・
処女作「千代田城を仰いで」(大正14年2月)を皮切りに「月月火水木金金」、「轟沈」、「憧れのハワイ港路」などを作曲。
江戸川乱歩
(平井太郎)
小説家云わずと知れた日本探偵小説界の重鎮
大岡忠綱子爵・貴族院議員江戸南町奉行大岡越前守忠相の子孫子爵大岡家。
明治27年に生まれ12歳で子爵を継ぎ、大正8年京大政治科卒業。
貴族院議員に選ばれ、在任中朝鮮銀行に勤めた。
正親町實徳
(おおぎまち さねあつ)
伯爵幼少時の大正天皇を養育
大倉喜七郎大倉組頭取先代大倉喜八郎の長男。
大正13に頭取となる。
大沼哲陸軍軍楽科大正14年にフランスに留学し、ヴァンサン・ダンディに師事した。
代表曲「美しき兵隊」(後「立派な兵隊」に改題)は軍楽隊員の事を指している。
大庭二郎陸軍大将大正14年版歩兵教程(岡宮夙大尉著)の序文を書く
岡田丈次樺太庁長官大正3年6月5日から大正5年10月9日の間樺太庁長官を務める。。
岡宮夙陸軍軍人大正14年版歩兵教程の著者
笠井信一北海道庁長官大正8年4月18日から大正10年5月27日の間北海道庁長官を務める。。
加藤建夫陸軍軍人情に厚く部下思いの名指揮官。
上長瞭月演歌師・発明家バイオリン演歌の開祖とも呼ばれる演歌師。
上長研究所所長としても様々な発明品を世に送り出している。
雷門音助(おこし)
(都屋歌六)
落語家・幇間大正12年5月、6代目雷門助六に弟子入りし雷門音助。
13年雷門おこしで二ツ目。
15年都屋歌六で真打昇進後、幇間に転職。
上司小剣(延貴)作家上京後に読売新聞社に務め、明治38年に同紙連載の『小剣随筆その日その日』刊行し執筆活動を開始。
代表作は『鱧の皮』『生存を拒絶する人』など
川崎肇日本火災社長大正7年に日本火災社長となると其手腕存分存分に発揮し、
翌年には資本金を3倍の1千万円に増やし日本火災を保険業界屈指の大会社へと発展させた。
川村竹治内務次官
満鉄総裁
原内閣内務次官を勤め、大正11年満鉄総裁となる。
非常な勉強家で若干10歳にして小学校教員の代理を務めるほどである。
岸忠左衛門西多摩郡会議員・五日市町町長
・東京府議会議員
議員・町長を歴任し、秋川地域・五日市町の近代化に貢献した。
北原白秋詩人
作詞家
数々の詩や、唱歌、軍歌等の作詞をした。
黒田清輝洋画家大正13年7月15日没、享年57歳
東京美術学校主任となり白馬会を結成。
明治28年に発表した『朝妝』は裸体画論争を起こす
郡司成忠軍人・小説家
探検家
大正13年8月15日没、享年63歳
幸田露伴の兄。
明治29年千島列島最北の占守島に家族と移動
小泉又次郎政治家民政等所属の代議士。
大正10年頃から普通選挙運動を起こし、其の先頭に立って活躍した。
鴻池善右衛門
(10代目)
財界人大正9年6月16日没、享年78歳
大阪の豪商。第13国立銀行、日本生命等を設立
古今亭志ん生
(5代目)
落語家
小助六
(睦の五郎)
落語家後の8代目雷門助六。
大正12年に睦の五郎で真打昇進
近藤廉平元日本郵船社長
貴族院議員
大正10年2月9日没、享年72歳
明治28年に社長となり、欧米豪の3大航路を開拓
西郷四郎柔道家講道館四天王の一人に数えられた柔道家。得意技は山嵐。
夏目漱石の坊ちゃんの山嵐や富田常雄の姿三四郎のモデル。
大正11年12月22日逝去。
斎藤實海軍軍人・海相
朝鮮総督
明治39年から大正3年まで海軍大臣を務め、
大正5年に海軍大将に昇進、大正8年より朝鮮総督を務める。
後に内閣総理大臣となる。
嵯峨實愛
(さが さねなる)
侯爵隔日出仕で教養を担当した御用掛け
佐藤進医学者大正10年7月25日没、享年75歳
日本人初のベルリン大学医学部卒業者。
順天堂医院で外科治療を行う
澤村宗之助(初代)歌舞伎役者大正13年4月7日没、享年38歳
明治22年初舞台、女形を得意としインテリ俳優としても有名
三遊亭圓朝(圓右)
(2代目)
落語家大正13年11月2日没、享年63歳
人情話が人気を集めた。大正13年念願の圓朝を襲名
三遊亭歌当
(歌笑・円洲・金馬)
落語家本名加藤専太郎。
大正15年に3代目三遊亭金馬を襲名した。
島崎藤村(春樹)詩人・小説家代表作『破壊』では被差別部落出身の青年の苦闘を描く。
又、大正2年には姪こま子との事件でフランスへ高飛びした。
清水米蔵日本橋区会議員
教育者
公共慈善の為に出費を惜しまず、特に教育事業に対しての功労は大
尚典政治家
琉球王族
大正9年9月20日没、享年56歳
最後の琉球国王尚泰の息子。貴族院議員。
明治37年に家督を継いだ後は資材を投入して沖縄開発に尽力
白縫花魁吉原遊郭角海老楼の花魁。大変美人名ことで有名だった
末松謙澄
(けんちょう)
政治家大正9年10月5日没、享年65歳
駐英公使館書記を勤め、明治23年衆議院議員。
逓信相、内相などを歴任、『源氏物語』の英訳も行う
杉浦重剛教育者大正13年2月13日没、享年68歳
日本主義者。明治18年東京英語学校創設、21年雑誌『日本人』発行
鈴木貫太郎海軍軍人日清日露の大戦に参加した勇猛果敢なる提督 鬼貫のあだ名有り
瀬戸口(大山)藤吉海軍軍人行進曲『軍艦』を作曲した偉大なる軍楽長
添田唖蝉坊演歌師稀代の演歌師。庶民の目線に立って作った数々の演歌は今も歌い次がれる傑作。
曾我祐準
(そが すけのり)
子爵大正天皇の崩御にも伺候した元宮中顧問官
高石勝男水泳選手大正14年1500m競技で新記録を打ち立てた。
高木任太郎
(みずたろう)
基督教神学者
教育者
大正10年1月27日没、享年56歳
明治44年(青山学院教授時代)『基督教大辞典』を完成。
大正2年青山学院院長
田川水泡(高見澤仲太郎)後に漫画家『のらくろ』『蛸の八ちゃん』『凸凹黒兵衛』の作者
竹鶴政孝ウヰスキー製造技術者国産ウヰスキー製造のため英国スコットランドに留学。後に大日本果汁(現ニッカウヰスキー)を創業。
太刀光電右衛門(八田政次)力士北海道出身者で初めて大関まで上り詰めた力士。
明治45年に友綱部屋太刀山関の内弟子となり、後高砂部屋へ。大正10年初入幕、大正12年大関昇進。昭和2年右足負傷により引退、8代目鳴戸親方となる。
田中義一陸軍軍人・男爵
貴族院議員
大正9年9月、陸軍中将(57歳)にして原内閣陸相の時、男爵受爵。
田中茂穂理学博士魚類研究の大家。著書は『魚、動物学教室』、『食用魚の味と栄養』等。
田村俊子
(佐藤と志)
作家・(一時)女優幸田露伴門下の女流作家。
代表作は『木乃伊の口紅』『あきらめ』など
俵孫一北海道庁長官大正4年8月12日から大正8年4月18日の間北海道庁長官を務める。。
東郷平八郎海軍軍人日本海海戦を勝利に導いたGF長官
土岐嘉平北海道庁長官大正12年9月29日から大正14年9月16日の間北海道庁長官を務める。。
徳川夢声活弁士
徳川好敏陸軍軍人我が国の航空技術発展に尽力した、我が国初の飛行将校。
豊田勝蔵樺太庁長官大正15年8月5日から昭和2年7月27日の間樺太庁長官を務める。。
内藤清五海軍軍人後に『東京消防庁音楽隊』の母体『東京都吹奏楽団』を作る。
永井荷風(壮吉)作家
慶大文学部教授
江戸文化を破壊しただけの明治東京を嫌い、江戸の戯作者的生活を行う。
代表作『墨東綺譚』『断腸亭日乗』など。
永井金次郎樺太庁長官大正8年4月17日から大正13年6月13日の間樺太庁長官を務める。。
中川健蔵北海道庁長官大正14年9月16日から昭和2年4月30日の間北海道庁長官を務める。。
中沢臨川文芸評論家大正9年8月9日没、享年41歳
露西亜文学やニーチェを我国に紹介。著書『自然主義汎論』
中村圓一郎貴族院議員・大井川鉄道社長大井川鉄道設立委員長後社長として大井川鉄道の建設に尽力。
中村純九朗北海道庁長官大正2年2月27日から大正3年4月21日の間北海道庁長官を務める。。
中村吉蔵作家文芸協会が上演した『人形の家』を演出し、抱月主催の芸術座の脚本を担当。
代表作は『飯』など
夏目漱石(金之助)英文学者・小説家大正5年12月9日没
代表作は『三四郎』『吾輩は猫である』『坊ちゃん』など
鍋島直大佐賀藩藩主
伊太利公使
元老院議官
大正10年6月19日没、享年74歳
明治13年に伊太利公使を勤め、在欧中洋画家を後援
西川寅吉(五寸釘の寅吉)囚人、釈放後芸人明治の脱獄王
西久保弘道北海道庁長官大正3年4月21日から大正4年8月12日の間北海道庁長官を務める。。
新田義美子爵・第一生保新田義貞の子孫子爵新田家。
大正15年明治大学政治経済学部卒業。
第一生命保険相互会社に勤務。
野口英世医学博士
エクアドル軍医監
我が国が世界に誇る医学博士
橋口五葉画家大正10年2月24日没、享年41歳
明治44年に三越の美人画ポスター募集に一等当選。
代表作『浴場の女』、『化粧の女』
橋本圭三郎貴族院議員
濱田石油社長
日本石油副社長・社長
大正5年に濱田石油社長、大正6年貴族院議員と為る。
更に日本石油副社長を経て大正15年日本石油社長と為る。
秦豊助県知事・代議士大正4年県知事を辞し政界入り、代議士となる。
後に昭和6年拓務大臣となる。
服部金太郎服部時計店社長
従5位
明治20年に起こした服部時計店(同25年から製造開始)社長。
世界的大工場で、大正6年に株式会社となる。
大正4年従5位に叙せられた。
花籠(荒岩)力士大正9年9月3日没、享年49歳
明治38年大関。小柄ながらも持ち前の怪力で活躍。42年に引退し年寄花籠を襲名。
馬場栄^一法学博士大正6年法学博士と為る。
後に日本勧業銀行総裁と為る。
ハチ忠犬後に忠犬ハチ公として有名になる
早川芳太郎早川ビルブローカー銀行社長大正7年の好況に乗じて早川ビルブローカー銀行を創設。
後に米穀商品取引所理事長に就任。
早川徳次東京地下鉄道会社専務大正3年欧米に遊学し地下鉄の研究を行い、
5年の帰朝と同時に東京地下鉄道会社を創立し専務となる。
大正13年兄富平の養子となる。
平岡定太郎樺太庁長官明治41年6月12日から大正3年6月5日の間樺太庁長官を務める。。
藤岡鉄斎日本画家
勤皇志士
大正13年12月31日没、享年87歳
明治14年から文人画家へ。代表作『阿部中麿明州望月図』
福島安正陸軍軍人大正8年2月19日没、享年68歳
明治26年シベリヤ騎馬横断を成功させた。
星一星製薬社長大正期に栄えた星製薬の創業者。
前田正名元官僚大正10年8月11日没、享年71歳
農商務次官を勤め、退官後も地方産業の発展に尽力
官位無き農相とも呼ばれる
前田米蔵政治家・種々取締役大正5年に代議士となり、以降政友会の一員となる。
政友会幹事長、中央新聞社、東印度起業、
早川電力、京城電気鉄道、湊鉄道等の取締役を務める。
昌谷彰樺太庁長官大正5年10月13日から大正8年4月17日の間及、大正13年6月13日から大正15年8月5日の間樺太庁長官を務める。。
松井須磨子歌手大正8年没。代表曲は『カチューシャの唄』『ゴンドラの唄』
松栄(まつえ)半玉
後芸者
大正4年11月23日新潟県三条市に生まれ。大正13年から同市立花家で半玉。
小説「雪国」の駒子のモデルとされる。
松岡洋右政治家政友会代議士。後に国際連盟帝国代表を務める。
大正7年に大使館一等書記官となる。
松方正義政治家・財政家大正13年7月2日没、享年89歳
明治14年大蔵卿としてデフレ政策、明治29年首相として金本位制を実施
宮尾舜治北海道庁長官大正10年5月27日から大正12年9月29日の間北海道庁長官を務める。。
武者小路実篤作家・思想家?子爵武者小路家末子、友情などの小説や詩集が有名
大正7年から大正15年まで『新しき村』を作る
森鴎外(林太郎)陸軍軍医総監
作家
帝室博物館総長
大正11年7月9日没
代表作は『舞姫』『高瀬舟』など
柳家金語楼陸軍歩兵
落語家
近代落語の創始者とも呼ばれている名落語家。
山口孤剣商人?・詩人大正9年9月2日没、享年37歳
社会主義者。明治37年、東京下関間にて社会主義伝導行商を行う
山口多聞海軍軍人後の海軍航空の名指揮官
山之内一次北海道庁長官大正元年12月28日から大正2年2月20日の間北海道庁長官を務める。。
山本庄平織物工場・他八王子にて山本織物工場を運営。其の他にも色々やっていたらしい。
八王子でも極めて初期に工場を電化した。
山本正夫織物工場・郷土史研究戦前は八王子に織物工場を運営し、後に郷土史研究を行う。
山村暮鳥詩人
切支丹伝道師
大正13年12月8日没、享年40歳
大正4年詩集『聖三稜玻璃』は詩壇に影響を与えた。
山室軍平救世軍軍人大正14年、救世軍万国本営付として渡英。
山本(高野)五十六海軍軍人『常在戦場』を座右の銘として己を鍛えた後のGF長官
山本権兵衛海軍軍人
総理大臣
日露戦争時海軍大臣として東郷平八郎GF長官を「運がいい男だ」と任命したこ逸話が有名。
大正年間に2度首相を務めた。
柳さく子活動写真女優松竹の活動写真女優として活躍
芳川顕正政治家・伯爵大正9年1月10日没、享年77歳
明治時代から東京府知事、文相、法相、内相等を勤め、教育勅語制定を推進
米内光政海軍軍人海軍魂を体現する廉潔無私の真の武人
カール・レイモン食肉加工技師
マイスター
オーストリー・ハンガリアン帝国生まれのマイスター。
日本で製缶業者に食肉加工技術の指導を行った後、食肉加工工場を設立。
若槻礼次郎男爵・貴族院議員
各種大臣・総理大臣
大正元年桂内閣大蔵大臣、同3年大隈内閣大蔵大臣、
同13年加藤内閣内務大臣、加藤伯没後総理大臣。
若山牧水歌人・作家旅と酒を愛し、旅先で様々な歌を読み紀行文を書いた。。
渡辺千秋官僚・伯爵
貴族院議員
大正10年8月27日没、享年78歳
明治25年内務次官、27年貴族院議員、宮内相も勤めた



金枝玉葉
大正天皇天皇陛下
大元帥陛下
大正の御世を治めた天皇陛下
節子皇后皇后陛下 
裕仁親王皇太子殿下病身の大正天皇に代わって摂政を務めた後の昭和天皇。
秩父宮雍仁親王第二皇子 
高松宮宣仁親王第三皇子 
澄宮崇仁親王 第四皇子 




武官御在職の皇族
御名官等位勲功御誕生
閑院宮載仁親王元帥陸軍大将大勲位功2級慶応元年9月22日
伏見宮博泰王海軍大将大勲位功4級明治8年10月16日
久邇宮邦彦王陸軍大将大勲位功4級明治6年7月22日
梨本宮守正王陸軍大将大勲位功4級明治7年3月9日
朝香宮鳩彦王陸軍歩兵中佐大勲位明治20年10月2日
東久邇宮稔彦王陸軍歩兵中佐大勲位明治20年12月3日
王世宮李垠王陸軍歩兵大尉大勲位明治30年10月20日
伏見宮博義王海軍大尉勲1等明治30年12月8日
山階宮武彦王海軍大尉勲1等明治31年10月3日
賀陽宮恒憲王陸軍騎兵中尉勲1等明治33年1月27日
久邇宮朝融王海軍中尉勲1等明治34年2月2日
閑院宮春仁王陸軍騎兵少尉勲1等明治35年8月3日

大正生まれ名簿
氏名又は芸名等後の職業亦は爵位等生年・出身地よしなし
青木光一歌手大正15年・満洲代表曲は『早く帰ってコ』他
青葉笙子歌手大正7年・宮城代表曲は『おしどり道中』他
暁テル子歌手大正10年・東京代表曲は『東京シュー』他
榎本美佐江歌手大正13年・埼玉代表曲は『すみだ川』他
近江俊郎歌手大正7年・東京代表曲は『湯の町エレジー』他
岡晴夫歌手大正6年・千葉代表曲は『上海の花売り娘』他
岡本敦朗歌手大正13年・北海道代表曲は『高原列車は行く』他
斧田道男
(三笑亭笑三)
後落語家大正14年10月28日後三笑亭笑三で真打昇進
小畑実歌手大正12年・秋田代表曲は『婦系図の歌』他
織井茂子歌手大正15年・東京代表曲は『君の名は』他
笠置シヅ子歌手大正3年・香川代表曲は『東京ブギウギ』『買物ブギー』他
粕谷泰三
(三遊亭円右)
後落語家大正12年12月8日後3代目三遊亭円右で真打昇進
菊地章子歌手大正13年・東京代表曲は『岸壁の母』他
霧島昇歌手大正3年・福島代表曲は『旅の夜風』『誰か故郷を思わざる』他
久保幸江歌手大正13年・台湾代表曲は『ヤットン節』他
越路吹雪歌手大正13年・東京代表曲は『サン・トワ・マミー』他
小林千代子歌手大正2年北海道代表曲は『涙の渡り鳥』『アリランの歌』他
佐藤武一
(柳家金三)
後落語家大正15年1月10日後柳家金三で真打昇進
渋谷滉
(三遊亭夢楽)
後落語家大正14年1月5日後三遊亭夢楽で真打昇進
須川勇
(桂米丸)
後落語家大正14年4月6日後に桂米丸で真打昇進。
関口達雄
(桂文治)
後落語家大正13年1月14日柳家蝠丸の長男。後初代桂伸治で真打昇進
高峰三枝子歌手大正7年・東京代表曲は『純情二重奏』他
竹山逸郎歌手大正7年・静岡代表曲は『月よりの使者』他
田中信雄
(三遊亭右女助)
後落語家大正14年9月19日後3代目三遊亭右女助で真打昇進
田端義夫歌手大正10年・三重代表曲は『大利根月夜』他
津村謙歌手大正12年・富山代表曲は『上海帰りのリル』他
鶴田浩二歌手大正13年・静岡代表曲は『赤と黒のブルース』、軍歌、他
並木路子歌手大正13年・東京代表曲は『リンゴの唄』他
奈良光枝歌手大正12年・青森代表曲は『青い山脈』他
服部富子歌手大正6年・大阪代表曲は『満洲娘』『上海夜曲』
平野愛子歌手大正8年・東京代表曲は『港が見える岡』他
藤原亮子歌手大正6年・山口代表曲は『婦系図の歌』『月よりの使者』
二葉あき子歌手大正4年・広島代表曲は『新妻鏡』他
豆千代歌手大正5年・岐阜代表曲は『夕日は落ちて』他
三門順子歌手大正4年・栃木代表曲は『暁の決死隊』『あの日から』
三波春夫歌手大正12年・新潟代表曲は『チャンチキおけさ』他


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