陸軍軍医総監・医務局長を務めた優秀な軍医であったとともに、 作家として明治文学界へも多大な影響を与えた。 食通であったと云われるが、『饅頭茶漬け』なる物を好む少々変わった人物でもあった。 代表作『舞姫』は自身の独逸留学を元に創作された。 葬式は遺言どおり宮内省と陸軍の栄典を拒否し、森林太郎個人の物として行われた。 又、臨終の言葉は『馬鹿馬鹿しい』であったと伝えられる。
年 | 月日 | 出来事 |
---|---|---|
大正2年 | 月 日 | 『安部一族』 |
大正5年 | 月 日 | 「高瀬舟」 |
月 日 | 『寒山拾得』 | |
月 日 | 『渋江抽斎』 | |
月 日 | 『井沢蘭軒』 | |
大正11年 | 7月9日 | 萎縮腎(実際には肺結核)によって死去 |