小説家 夏目漱石(金之助)

近代日本文学史上に燦然と輝く名小説家。

大変な頑固者で文学博士号を辞退したことでも有名。

胃袋が弱く胃潰瘍などに幾度も煩わされ、
これさえ直ればもう一度生まれ変わりたいと語っていた。





月日出来事
大正元年8月2日〜
8月4日
家族で鎌倉行
8月17日〜
8月31日
中村是公の誘いで塩原・日光・軽井沢・上林に旅行
9月 日『彼岸過迄』春陽堂より刊行
9月26日〜
10月2日
佐藤病院に入院し痔の再手術
月 日気分転換に書・南画風の水彩画を嗜むも、孤独感が強まる
12月6日〜
翌4月7日
『行人』を朝日新聞に連載
大正2年1月〜6月強度の神経衰弱
3月末〜5月中旬胃潰瘍再発、自宅療養、『行人』中絶
9月15日『行人投稿について』(断り書き)
9月北海道より籍を戻し、東京府平民となる
9月16日〜
11月15日
『行人』を朝日新聞に連載
大正3年4月20日朝日新聞で『こころ』連載開始
8月11日『こころ』連載終了
9月 日岩波書店より『こころ』単行本発売
9月中旬四度目の胃潰瘍、一ヶ月病床
11月25日学習院で『私の個人主義』を講演
大正4年 月 日『私の個人主義』
1月13日〜
2月23日
『硝子戸の中』を朝日新聞に連載
3月19日京都旅行に出るも胃潰瘍で倒れる
4月16日西下した鏡子と帰京
6月3日〜
9月10日
『道草』を朝日新聞に連載
8月15日春陽堂より『満韓ところどころ』初版本発行
10月岩波書店より『道草』刊行
10月9日〜
10月17日
中村是公と湯河原に遊行
11月至誠堂より『金剛草』を刊行
12月林原耕三の紹介で芥川龍之介と久米正雄等が入門
12月リューマチにかかる
大正5年1月28日〜
2月16日
湯河原温泉や中村是公の別荘にてリューマチの療養
4月19日〜
7月上旬
真鍋嘉一郎により糖尿病と診断、治療
5月上旬胃を悪くする
5月26日〜
12月14日
『明暗』を朝日新聞に連載(未完)
8月〜午前は『明暗』を執筆、午後は漫画、漢詩を書く
10月下旬雲水2人逗留
10月16日最後の木曜会で『則天去私』を語る
11月22日胃潰瘍再発
11月28日大内出血
12月2日大内出血、人事不詳に陥る
12月8日様態は絶望的になる
12月9日午後6時45分死去、帝大医科大で長与又郎執刀により解剖
12月12日青山斎場で葬儀、導師は釈宗演
戒名『文献院古道漱石居士』
12月28日雑司ヶ谷墓地に埋葬
『明暗』は死後5日間連載され、12月14日(180回)絶筆、翌年1月遺著として岩波書店より刊行

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